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James Cook - Japan Times May 1, 2017 + 日本語翻訳

James Cook had several US court orders to return his children to Minnesota.
He testified in US Congress on April 6, 2017 in Congressman Chris Smith's House Foreign Affairs subcommittee on Africa, Global Health, Human Rights, and International Organizations for the second time.

Hearing: Enforcement Is Not Optional: The Goldman Act to Return Abducted American Children
video of hearing with Japanese subtitles

日本語字幕: https://www.youtube.com/watch?v=HakxnORw8vc

On April 23, 2017, he waited at the US Consulate in Osaka for his children.
The Japan Times published a story about James' case on May 1, 2017.

https://www.japantimes.co.jp/community/2017/05/01/issues/three-years-japan-signed-hague-parents-abduct-still-win/

Here is our translation in Japanese of the Japan Times article.

日本語翻訳

ハーグ条約署名から三年、 未だ連れ去った親が勝ち組

彼が、別居中の妻と彼の四人の子供がいる家の近くで停めたバンの中で待っている間、ジェームズ クックは強い孤独感を感じていた。その孤独感は、二年前に妻が子供達を日本に旅行で連れて行って以来の長い年月、それまで家族のホームだったミネソタ州の家で、慣れ過ぎてしまった感情だ。

「我々家族のホームに、私は独りで暮らしていた」とクック氏は語る。「2014年7月13日に残していったままの子供部屋と共に、独りで。場所は変わっていたけれど、独りぼっちの気持ちは同じだった」 その頃、道を挟んで反対側の妻の家では、クック氏が自分の子供と再会できるかという、クック氏の人生にとって最も重要な決断が、彼のいないところでなされていた。それは日米双方の終わりのないような法廷の動議や書類、嘆願書、要請と決断の末の2016年9月13日で、理論上は、ついに子供達、9歳と14歳になる二組の双子、を連れて帰れる。

ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)を通して、クック氏の、自分の子供たちのアメリカの家への帰還の請願は成功し、大阪高等裁判所で返還命令が下された。しかし、子供たちの母親は未だに子供たちを変換することを拒み、事態は強制施行の段階に入った。

前日には、クック氏と、一緒に子供たちの件で手助けするために日本に来たクック氏の母の二人は、外務省においてハーグ条約関連の問題を扱う日本中央当局の役員と子供たちの手渡しをうまく進行させる作戦を練るために、奈良地方裁判所で出会っていた。

「近所の通りとそれぞれの班の位置が示されている地図が奈良地方裁判所の会議室の机に置いてあった」とクック氏は振り返る。「とてもよく練られていて、これは成功するかもしれないと希望を感じられた」クック氏とクック氏の母は、午前5時25分発の電車に乗るために、未明に大阪のホテルを出た。彼らの弁護士の同伴の下、奈良の学園前駅に向かった。

集合場所ではクック氏らは日本中央当局の役員と出会い、バンの中で指示が出るまで待機していた。するとクック氏の弁護士から電話がかかり、奈良の裁判所の執行官が家に接近して、ひとみさんと四人の子供たちが中にいると確認したとの連絡が入った。午前6時55分に建物に入った。

クック氏とクック氏の母がバンの中で待っている間、合計17人の人たちがクック氏の妻の敷地内外にいた。ひとみさん、四人の子供たちとその祖父母、二人の警察官、クック氏の二人の弁護士、日本中央当局の役員が一人、日本中央当局指名の心理学者二人、奈良の裁判所の執行史一人と、二人の大阪の米領事館の役員。

午前8時頃になると、クック氏の弁護士から、子供たちがとても動揺していて、彼に会いたくないと言っている、と伝えられた。しかしその後、クック氏の母に会うことは同意してくれた。クック氏は、いろんな気持ちとともにバンに取り残された。

午前10時になると、クック氏の母は「とても心的外傷を受けた」かのように戻って来た。それでもついに子供たちと会う番が自分に来たと信じていた。「私の感情がこみ上げて来て、準備のために感情の防具をつけた。バンの外に出ようと前を見上げると、私の弁護士の悲しそうな顔に止められた。彼女に、私たちの子供たちはまだ私と会うことを拒み、奈良地方裁判所の役員が強制執行を取り止めにしたと告げられた。私は私の子供たちとほんの数十メートル離れたところで、3時間も私の会う番を待っていた。私はショックで席から動けなかった」

法の限界に縛られる

日本がハーグ条約の署名国になってから三年が経つ。ハーグ条約は、片親によって子供を他の署名国へ奪取した場合、早急な帰還を保証するように構成されている。

外務省のハーグ条約の部門は、署名から二年の間にだされた返還の要請の90%が解決されたという。しかしどのように「解決された」かの詳細は明らかではない。これは、判決は出版されないし、外務省は個々の件にはコメントをしないからだ。

外務省によると、ここ三年にあった外国への子供の返還の、68の要請のうち、18件が実際に返還で終わった。12件は「却下」され、19件は「調停成立」、もう19件はまだ決断が下されていない。つまり、直近三年で出された子供の返還要請の、30%も満たない件数が実際に日本を出るまでに至った。

外務省は、ハーグ条約の署名後二年の間で、二件において強制執行が成功したと断定した。また、外務省は強制執行を行いつつ、「子の同居者から一切の応答がない一部の事案」があると具体的な数字を述べずに付け加えた。このような成功に至らなかった試みを元に、ハーグ条約の部門はメールに「この件については監視を続け、ハーグ条約の履行を必要な限り詳しく調査いたします」と含んだ。

2016年の国際的な子の奪取における毎年恒例のレポートで米政府は、「日本は、返還命令を施行する面で、ハーグ条約に伴う義務に従うことを怠った」と結論づけた。特に、2015年始めに令状が出された件に言及し、年末になっても解決されていないことから見られるように、このレポートでは、「返還命令を試行する日本の能力に組織的な欠陥がある」可能性があるとの懸念を提示した。

非営利団体、絆・チャイルド・ペアレント・リユニオンの重役、ブルース ガベテは、強制執行の失敗は、これを進行させる役員の法的制限を考慮すると、不可避であると考えている。

「役員は、ハーグ条約と一応の関係を持つ日本の法律に従い、できることは全てしているのだが、やはり権力があまりに制限されているがために、奪取した方の親か、奪取された子供にお願いする形になっている」と彼は説明する。「つまり最終的には、返還命令を施行するために誘拐者の許可をお願いすることになっている。これは誠に、裁判所命令であるにも関わらず、彼らは懇願し嘆願しているのである」

国内の今の法律の下では、返還の履行を図るために認められている唯一の物理的接触は、子供が意図的に帰還しようとしているところを、奪取した親が止めようとした場合において、執行吏がその体を取り押さえることである。

去年、法務大臣は諮問委員会に、民事執行法を見直し、離婚した親の間の子の受け渡しに関する裁判所命令を強制する具体的な行程を加えるよう求めた。政府はこの委員会の調査を元にした法案を、来年までに提出すると期待されている。

しかし、同志社大学法学部教授のコリン ジョーンズは、この変更でハーグ条約における返還が増えるとは考えていない。「ハーグ条約のために導入される執行手続きは、最終的に国内の連れ去りの件の基準ともなると専門家たちは予期しているだろう。だから私はそれ以上のことを期待していない。専ら、ハーグ条約における返還執行の改善に至るとは思わない」とジョーンズ教授は語る。「命令に従わないものへは刑法上の制裁を加えるなどの劇的な法の改正がなければ、いつになっても、子供の心身に傷を負わせないような子供の『保有権』の強制的移行の基本的制限は効力を持つことになる。そして奪取した側の親は常に子供を司法過程の『人間の盾』として使えてしまう」

時間は連れ去る親の味方にあり

ガベテ氏は、誘拐問題において、時間は決定的な要素だと考えていて、この問題は日本が子供の返還の成功例に乏しい原因の真にあると説明する。

ハーグ条約には、「子供を居住地からそれ以上長く離れさせたくないがために、裁判の裁きは六週間以内になされなければならないと記されている」とガベテ氏は言う。

彼曰く、ハーグ条約関連の返還の国際的な平均は六週間より六ヶ月に近いものの、日本ではさらに長いのだ。普通なら18ヶ月かそれ以上。これは子供を新しい環境に順応させ、子供と密接になる時間を、連れ去る親に与えることになってしまう」

ガベテ氏は条約の、調停の部分にとらわれすぎていることに問題があると責める。 「日本国内の制度と似て、平和的な解決を求めている」と彼は議論する。「日本は実際の裁判所命令より、調停と両者の合意による解決を好む」

ハーグ条約の第13条に、署名国が子供を返還しなくても良い事態が記されている。B項には、「返還することによって子が心身に害悪を受け、又は他の耐え難い状態に置かれることとなる重大な危険があること」とある。

ハーグ条約関連の事例を扱う国の法を制定するとき、日本の議員たちは「13Bの『重大な危険』の解釈を広く拡張するための文書を作り上げ、条約に実際に従わなくても良いよう抜け穴をいくつも作った」とガベテ氏は言う。「帰還に伴う重大な危険というのはもともと、児童虐待を行う人がいる場合のことを念頭に作られた。当然精神的や肉体的などの虐待を犯し、はっきりとした証拠がある人に子供の帰還をさせることはありません。しかし新しい環境に慣れたというのは13Bの本来の意図には含まれない。それは明白だ」

片親引き離し症候群

9月15日クック氏の件で返還命令の強制執行が失敗してから二日後、二度目の試みが別居中の妻の家でなされた。

今回は、クック氏の子供たちの若い方の二人は学校の合宿に行っていたが、その日のうちにアメリカには連れて帰らないと約束した上でクック氏は家の中に入ることが許された。家のどこかに隠されていたため子供たちが見えることはなかったが、クック氏は年上の二人の子供たちと離れたところで話したと言う。

クック氏によると、子供たちは「あなたはもう僕のお父さんじゃない」「あなたのことは知りたくない」「僕たちはここで満足していて、あなたとはもう関わりたくないことがわからないの」などと言っていた。

クック氏は、彼の妻とその家族が意図的に、クック氏に対して抵抗するよう子供たちに仕込んだと考えている。典型的な片親引き離し症候群だ。また、調停のインタビューの過程で供述していたことと似た、このようなセリフも子供たちに指導したとクック氏は憶測している。

東京国際大学の臨床心理の小田切紀子教授は、個々の件に関してはコメントできないと言いつつ、親による奪取の被害者の子供たちは、片親引き離し症候群をもつリスクが非常に高く、また12歳までの子供たちは特に影響を受けやすいと言う。

小田切教授曰く一種の『洗脳』であるこの状態は子供が強制的に入れられる物質的な環境条件と連れ去り親の態度によって引き起こされる。彼女はこれは子供の意思を侵害したものだと付け加える。「連れ去り親に経済的にも感情的にも頼っているため、子供に逃げ場はない。子供には連れ去り親が良い方の親と見えて、その親なしでは生きられないと信じるようになる」

小田切教授はこれは児童虐待の一端であると信じ、子供の精神に対して大人になるまで残る、厳しい長期のマイナスな影響があると警告する。「成長していくと、自分の人生の地図の全体像と、幼い頃に 自分に何が起きたのかに気づくようになる」

クック氏の妻は、子供たちのパスポートを4月7日までに大阪の米領事館に引き渡し、4月23日までにクック氏の下に置くというミネソタ州の裁判所命令に従わなかった。クック氏は日本へ渡り、子供たちと再会できることを期待して領事館で滞在していた。しかしまた帰りは独りだった。

クック氏は2月に大阪高等裁判所で出された、彼が単独でアメリカで子供たちを育てる能力を欠いている、という判決を無効にするために、上告することにした。クック氏は、日本の最高裁判所に上告する権利を得たので、今、議論の準備を進めている。

「私は子供を愛する親である。そして子供を愛する親というのは決して諦めない、決して屈しない、決して子供を操らない、そしてなにより、自分の子供たちは自分と同じ人権を持つということを理解している」と彼は言う。「子供は所有物でなく、子供というのは両親を愛しているのであって、片親を否定すると子供の一部は死んでしまうのだ」

Japan Timesは電話でコメントを求めるためにクック氏の妻と何度か連絡を取ること試みたが、電話が通じることはなく、彼女のアドレスに送った電子メールにも返信はなかった。彼女の弁護士、神川朋子を介して連絡を取ることも試された。しかし、神川弁護士は、メディアのコミュニケーションの代理はしていないという理由から、コメントを控え、依頼人と連絡をとる援助はできないと言った。

遠距離から愛すること

ポール ハルトン氏の子供たちは、イギリスから日本に、元妻によって、離婚の1年後の2014年に誘拐された。離婚訴訟の結果、イギリスの裁判所から三人の子供の共同親権を認められていた。

また、裁判所は、子供たちは英国内に居住させ、日本がハーグ条約を履行する以上は、母親に子供たちを日本に連れて行ってはならないと規定した。日本は2014年の4月1日に署名し、同年8月に子供たちは連れ去られた。2015年3月31日に大阪家庭裁判所は、ハーグ条約の下に子供たちは英国に返還されなければならないと判決を下した。母親の告訴は三か月後に却下され、裁判所から返還命令が発行された。

ハルトン氏の元妻がイギリスに子供たちを返還することを拒んだ後、「非直接的執行」が行われた。これは、ハーグ条約の義務で、連れ去り親からもう片親に送るための罰金を採る(普通は子供一人につき、毎日5,000円)という段階である。直接的強制執行が行われる前に、必ずこの段階を踏まなければならない。ハルトン氏の元妻は、社会保障を請求していたため、お金を払う事を回避し、むしろ国から得するような状態にあった。

今になっては12歳、10歳、7歳となる子供たちを最後に見てから二年経ち、ハルトン氏は次の、直接強制執行の段階に踏み切ることにした。これは去年の11月29日と、12月1日に行われた。

責任者と社会福祉士たちは、返還命令を施行することに失敗した。しかし、ハルトン氏が数日後に子供たちと1日だけ、大阪にあるユニバーサルスタジオジャパンに連れて行くという同意は元妻から得ることができた。ハルトン氏は「子供たちと時間過ごせる素晴らしい機会だ」とコメントした。

四人にとってとても特別な日は、子供たちの大好きなイタリア料理店で締めくくられた。

「夜ご飯もまた、とても素晴らしかった。思い出に包まれた」とポールは振り返る。しかし彼は「別れの時刻が近づくにつれ、一秒一秒時間の流れが感じられた」とも加えた。

ハルトン氏は、イギリスと日本の両政府に後援されていて、合法的に子供たちを連れて帰るため、1日旅行の終わりに元妻に子供たちを手渡したくないと感じていた。「でも子供たちにとってはどうだろう」彼は問う。「強引にも母親から引き剥がし、二度と彼らの生活がひっくり返すことを、私にはできなかった」

ハルトン氏はその旅行以来状況は少し改善したと言う。Skypeによるチャットは続き、日本にいる子供たちへの葉書や贈り物は届いていたようだった。しかし未だに状態はもろく、彼にコントロールできる事は少ない。彼と彼の元妻は、長期の交渉をしているべきで、子供たちとの連絡の取り決めをしなければならないのだが、進歩は見られない。

「合法的にできる事はやりきった今、子供たちが私抜きで成長して行くのではないかと恐れています」とハルトン氏は溢す。「子供たちと私が、お互いに訪問し合うということを、元妻が許してくれることを夢見ています。少なくとも年に数週間共に過ごし、父親というものがすべきなように、心身の成長を援助できる期間が欲しい」

「子供たちの『幼少期』を共に経験できないというのは過酷な現実です」と彼は言う。「私が次、彼らと会うのはもしかしたら、彼らがお母さんから自由になり、独立し、個人的に私を探しに来られるようになるまで成長してからかも知れない。その頃にはもう彼らは大人で、就職もし、自分たちの家族も持っている可能性もある。お互いを知り合うことはできるが自然界が望むような親密さは得ることはないだろう」

「起こり得る事としては、私の子供たちは日本に生涯居残り、それ故私のまだ見ぬ孫たちも遠く、私には知る事はない。その考えは私の毎日を呪い、これは消える事はないだろう」

ハルトン氏のお父さん、リチャードさん曰く、片親による子供の誘拐は子供を最も傷つけ、次に、残された片親に傷が付くが、その子供と繋がりがあった、周りの多くの人にも深く影響する。

「私と祖母の二人はどちらも、この三つの小さい顔たちがいない事がどうも同じとは考えられない。そして他の家の人たちもそう思っていると私は知っている。ほかの子供たちやいとこは彼らがどこに行って、なぜなのかも分からないまま不思議でいる。私たちはみな、全身に染み渡る喪失感を覚える。子供たちの身の上に心配があるわけではないが彼らには会うことはない。彼らは本当に幸せなのだろうか」と彼は問う。

リチャードさんは片親による連れ去りの場合はさらに事態がひどいと言う。なぜなら、「悪事を正そうとする側の家族は公的な冷淡さと無精と戦わなければないから」そしてもう一度子供と会えることを願って重い経済的負担を耐えなければならないから。「私たちは息子のポールを感情的にと経済的に援助している。でも今の制度は連れ去り親に有利なことが多すぎ、私たちはハーグ条約というのはとても高価な時間の無駄だとの結論に至った」

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